転ばぬ先の杖?、転んだ後の準備?

24人中24番目の選手として1年間所属した古河電工ジュニアユース時(現ジェフ千葉)のユニフォーム!

中学生の時の話だから26年も前の出来事

 

東京から親の仕事の都合で小4の時にこちらに転校してきた。

中学生のサッカー部の顧問は、栃木教員(現栃木SC)でプレーしていたため、自分のサッカーが忙しくて、まともな指導もなく、試合も公式戦のみ。

当時はサッカー指導本も少なく、やっと手に入れた釜本さんの本を読んで独学で練習をした。

そして、サッカーマガジンに載っていた古河電工ジュニアユースのセレクションを受けたいと思った。場所は横浜市西平沼区の古河グランド!

「やってみれば!でも、自分一人で行きなさい」と相変わらず放置教育の両親!

いくら旅館の仕事が忙しいからといっても、自分の子のサッカーを一度も見に来ないなんて!

 

結局、一人で電車に乗ってセレクションへ

どうせダメだと思ったが、一つだけ自信があった。

山で鍛えた脚力!とキック力!....【釜本さんの本にはボールの蹴り方しか載っていなかった....せめて、フェイントのひとつでも載っていれば...(-"-)残念!】

 

案の定、50人を超える人数のなかで、テクニックはダントツでビリ、ドリブルも10m蹴って全力ダッシュのド素人ドリブル!

ただ、シュート力とダッシュ力と持久力では勝負ができた。

合格発表は23人の名前を呼んで終了。

帰る準備をしていると、呼び止められて「栃木から通えるのか?」と聞かれた。

「週末だけなら通えます。」と即答。「じゃあ来週から来い!」

(勝手に返事をしてしまった.....。どうしよう!)

家に帰って怒鳴られると思いきや「本気でやるんだったらやれば?」

「えっいいの?」

「途中で辞めたら家に入れないよ!」

 

そんな訳で、約1年間、週末は東京の親戚の家に泊まって練習に参加した。

初めて高度な指導を受けて、練習メニューをノートに書いて、平日の部活の時にみんなでやる。この繰り返しは楽しかった!(^^)!

 

放置教育の両親は、何も言わず電車代と月謝を払ってくれた。

小学1年生の時から3年間、中央線で学校まで通っていたから、平気だろうと思っていたらしい。

小学生の時は、何度も乗り過ごしたし、定期も失くした。携帯もない時代だから、駅員さんに自分の住所と電話番号を言えず、困った。

結局、駅員さんが学校に連絡してくれて事なきを得たが、「電話番号と住所は憶えないと、また同じことだよ」と母に言われて、必死で憶えた!(っていうか心配しないのかよ!)

そんな教育あるかよと思っていたが、まぁ、ありかもと今は思う!

 

転ばぬ先の杖も大切だけど、転んだ後の準備も大切!

 

そんな訳でOMFCの個達には、なるべく親の手を借りないでできる事は自分でやろうと言っている。

 

転んだ後の準備(例)

バッグの中に、すね当てを二ついれている個がいる。(自分が忘れた時のためと、誰かが忘れた時に練習できないのは可哀想だから...だって!)

この子は、道具を忘れて練習できなかった経験をうまく活かせている個。たぶん、親にも言われているのだろう。

 

道具を忘れてしっまた時は見学する!(子供だから何回も忘れることはあるので......)

みんなと練習できない悔しさを感じて、一人黙々とボールタッチやリフティングの練習をする。

大切な練習のひとつ!

 

 

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コメント: 2
  • #1

    sextelefon (火曜日, 31 10月 2017 22:08)

    rygorystka

  • #2

    czytaj więcej (金曜日, 03 11月 2017 17:49)

    kolposkop