徳を持つ!

少年サッカーに関わることで、人生の勉強をさせて頂いている。

沢山の猛将から育成を学び、沢山の浅はかな人間から建前を学ぶ!

 

いつも勉強させて頂いているFBからシェアさせて頂きます。

 

こんな輩が、少年サッカーに多い現実があり、協会が言うサッカー文化造成と相反している事実!

年老いた人間が、モノを言われぬため勘違いしている現実!

 大和魂と武士道精神が日本のサッカーの生命線であることを認識し、

 Japan's wayを構築せねば、日本の未来はない!

 明日から同志と本気の合宿です。

 ゼッタイウマクスル(^^♪

 

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他人の話を聞くという「日本人の美質」

日本人には、
指導者に疑問を抱かず、言いつけを守るという<しつけ>の習慣がある。
監督は、選手が何を考えているかを理解できず、また選手も自分が何をすればいいかを指導者に依存して
自分で考えると言うサッカーにおいて重要な習慣を放棄してしまう。...
(角川書店「信じよ!」イビチャ・オシム)

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「師を尊重し耳を傾ける」
それは日本の美質でもある。

だから問題の核心は、
指導者の軽薄さにあるんだ。
ひとえにいえることはその責任の重さだ。

選手が言うことを聞くことを「勘違い」して、
「いい気分」になり、
「浅はかな作戦」を選手に押し付け、
がまん強く注意深く選手を「理解する能力」もなく、
選手が考え始めたら「反抗」だと思い込み、
「従順さという美質」を悪用し、
大声で愚策を押しつけ、
「考える選手」の可能性を圧殺していくんだ。

そんなあほうは、
「勝つことで先が拓ける」とおろかに言い張るが
「勝つことだけ」では先は絶対に開けない。
考え、自問し、負けから学び、
自ずから努力する選手だけが
よい奥深い選手に、
そののちに、素晴らしい人間になる。

命は「今やること」を選手が自分で考え
見つけなければならないということ。
育成の、サッカーの練習で生活で対面する相手は
大切な大切な人間であること。
時代を託す友人であること。
共に未来を拓く仲間であり、
男としてもライバルであること。
実力と才能は違っても、
競争だからもちろん差が出る。
預かる選手全員が大切な同志だ。
一人の例外もつくらないでだ。
何かで線を引かないでだ。
誰かを軽く扱うやつを信じるな。

だから、
大人が求められているのだ。
薄っぺらさは恥ずかしくて押し付けはできない。

たかが練習試合で、
CKにトリックプレーを「作戦3!」と叫び、
ベンチの指導者が、「ニアだ!ニアだ!」と相手選手を大声で幻惑し得点することに何の意味があるんだろう。
そんなことを目の当たりにすると
それは「コント」にしか見えなくなる(笑)
ただし、それは「ベンチだけの独壇場」な思い切り悲惨なコントだが。
だが